Sexy Familyとはなにか考えてみた
『Sexy Zone 新曲大発表会 in 代々木』に参加してきました。
運営側の事情と記者・ファンの聡マリを心配する声に板挟みになっている3人の痛々しさがひどく伝わったイベントでした。3人とファンがお互い傷つくイベントを開催するなんてある意味脱帽。開いた口が塞がらない状態でとりあえず見守ってた系ヲタクですけど、あれはすごい…
しかし、今回のイベントで学んだこともあります。セクゾン分裂問題の上にはヒロムの思惑が存在するということを改めて理解させられました。
"Sexy Family" がまさにヒロムの思惑そのものだと思うのです。
コンサートの演出、舞台の脚本、見学としてよく現れ指示を残したり、一貫として「現場主義」のヒロム。その原点はジャニーズを始めるきっかけとなった『ウエスト・サイド物語』が強く関連する。彼のミューズで原点であるミュージカル。
舞台こそすべてであり、人生の集大成としてウエスト・サイドのような壮大なミュージカルをつくりたかった。そして当初からブレない少年愛。だから、寵愛してやまないスペオキ勝利がいるSexy Zoneで大改革が行われているんじゃないかって感じます。
勝利+ふまけんに関しては、2012年 N.Y.でブロードウェイで舞台鑑賞(ブロードウェイはヒロムの憧れの地)、2014年 アメリカ西海岸での撮影(ヒロムの故郷)って、少年達にどこまで自分自身をさらけ出したいんだ!というツッコミが。ヒロムの憧れと未来を上3人は担っている状態なんだって思うとそれもそれで重労働。
Familyにした意味とは。またもや登場の『ウエスト・サイド物語』のように、人種は違えど同じ国に存在するのだから一緒に手を取り合おう、との考えは根底にあると思います。(セクボ&セク松の「この手をつなごう」がリピート止まらない…)
加えてヒロム自身がアメリカ西海岸出身であり、ウエスト・サイドにあるようなアメリカの共通した意識が今もなお存在している。結局、心はアメリカに置いたままだからこそ、Family形式にこだわりを持っているんだと思います。大好きな少年たちの共同体実現…
原点となったウエスト・サイドへ回帰し、人生の集大成を作り上げているのが例のSexy Familyであると考えてます。
そこにはセクゾン本人たちの意志、ファンの考えは存在しない、ヒロムだけの世界が確立されている…ヒロム帝国…
所詮アイドルは事務所の操り人形で、ファンも人形に振り回されるしかないため、ある程度は覚悟していますが、セクゾンが改悪されていく度にその理不尽さに切なさを覚えます。
2012年夏(サマリー)までセクゾンがグループとして純粋に秘めていた美しさと狂気さが、今や曲とともに完璧に失われてしまったことが何よりも悲しい。ヒロムの夢の実現の代償は大きい。
Sexy Zoneは違う意味で異質グループと化しましたが、メンバー本人達はまだ魅力がたくさん詰まっています。引き続きサクセスストーリーを見守ること及び魅力を探っていきたいと思います。無理矢理言わされてる「新たな可能性」が成功の方へ転ぶことを祈って。